痴呆症と夜中の徘徊

痴呆症と夜中の徘徊

痴呆症と夜中の徘徊

「おまえはなにやつてるんだ。勝手なことをして、このばか者が…」突然の父の怒りに、私はただ呆然とするばかりです。はじめは私も穏やかにいって聞かせていましたが、ついつい腹が立って声を荒げてしまいます。そのときは、痴呆の「ち」の字も疑っていませんでしたから、父とまともに向き合ってしまい、収拾がつかなくなりました。

 

 

すると、そばで父と私のやりとりを聞いていた母が日をはさみました。「このごろのお父さんは、つまらないことですぐ今みたいに怒るのよ。だから満ちゃん(兄嫁)にも嫌われるのよ。そんな態度をとったら、自分が損だっていうことがお父さんにはわからないのだわ。ごめんね。せっかくお父さんを連れて行ってくれたのに。疲れたでしょ、早く家に帰ったほうがいいわ。お父さんの機嫌もすぐ直るから」ひょっとすると、母は父の異変にこの段階で気がついていたのかもしれません。

 

 

私は腹を立て立て事務所に戻って、夫にさんざん愚痴を聞かせました。しかし、それにしてもたかだかお土産の分配の仕方にすぎないのに、父の怒りようは尋常ではありませんでした。私が父の様子に異変を感じたのは、それが最初でした。徘徊が始まったその二か月後のことです。

 

 

今から思えばそれは徘徊でしたが、父は引き取られていた日暮里の店を朝早く出て、 一日中歩きまわったあと、店へは帰らず長年住み慣れていた千住の家に帰ってしまいました。日暮里の店とは母と兄夫婦が営んでいたお店のことで、そこから五キロほど離れた千住に住まいとする実家がありました。両親が元気だったころは、父が住まいに残って家を管理し、母は住まいと店を往復するという、少し変則的な生活形態でした。

 

 

母が脳梗塞で倒れて入院したころ、父はこれまでどおりの生活が維持できなくなり、店のほうに住む兄夫婦に引き取られたのです。以来、千住の家は閉め切りになっていました。父は鍵を持っていたのにその鍵を使って家の中に入るという行動がとれません。そのため、ご近所さんからの通報で姉が迎えに行き、店に連れ帰ったのです。

 

 

それでも、そのときの父はその日の行動を反勿することができました。そして外出先では、手持ちのお金で食事をとる余裕もあったのです。姉は「もしかして、これって徘徊かしら」と、不安げにつぶやきましたが、 一日の行動をにこやかに笑いながら話して聞かせてくれる父です。けっして当てもなく歩いていたのではないのですから、私は、「徘徊であるはずがない」と、必死に思い込もうとしたのです。


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