オヤジの痴呆症

オヤジの痴呆症

オヤジの痴呆症

…オヤジの痴果、叔父のがん、従兄弟の死と、わが一族はこの数年不幸続きです。そのため母は無縁仏になっているご先祖様の供養をしたほうがいいのではといいだしました。母は元来、そう信心の深いほうではありませんが、弱気になっているのでしょう。近いうちにそのご先祖様の出身地に行って、墓があるかどうか確認してこようと考えています。これも介護の一環ということになるのです。

 

ただなんでも自分でやっていたという意識だけが体の中に刷り込まれているのか、自分でなんでもやろうとします。室内アンテナのテレビは映りがよくありません。それを直そうと思うのでしょう。父は立っているのもやっとだというのに、テレビを持ち上げて台から床に下ろそうとします。ほうっておけばきつと壊してしまうに違いありません。見兼ねて「手伝うわよ」と親切そうに父にすり寄ります。「そうかい、映りが悪くていけねえやい」いつしょに持ち上げるふりをして、父がテレビを持ち上げられないように上から押さえつけます。父は気がつきません。「持ち上がらねえなあ」「そうだね、今度、力のある若い商売人を呼ぼうか」「そうだなあ」義父も同様です。梅雨時の大雨で、夫の実家が雨漏りで大わらわだつたときのことです。雨漏りもたいへんでしたが、それを義父に悟られまいとみんながハラハラドキドキだったと、夫は苦笑します。「そうよね、お義父さんに屋根にでも上られたりしたら、それこそたいへんよね。瓦一枚じゃすまないかもね」

 

 

苦笑している場合ではなく、早いとこ大工さんでも頼まないと家がだめになってしまいます。隣が大工さんですが、オヤジはその大工さんを子ども時代から知っており、「あんなのに頼んだら、みんな壊されてしまう」と相手にしません。母がいくら「信ちゃんはもう立派な棟梁だよ」と言い聞かせても、オヤジには昔の思い出でしかなく、「おれのほうがじょうずだ」という意識が残っており、埒があきません。 一事が万事この調子で、電気屋さんや水道屋さんもへたに呼べません。なんでも自分でやってしまうという習慣をつけておくのも考えものです。


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