社会的財産としてボランティアで生かす

社会的財産としてボランティアで生かす

社会的財産としてボランティアで生かす

「上着をお父さんに着せるとき、頭から通している? それとも腕から通す?」姉に尋ねられたことがありました。ささいなことのようですが、けつこうこれが重要で、思わぬリハビリ効果があったりもします。姉は腕から通すほうがよいといいます。腕から通してあげただけで、その後、父は自分から下着の裾のほうを手でつまんで両手を高く上げ、頭からかぶるように着ると姉はいいます。高く両手を上げるので、身体機能を高めるためにも効果があるのではないかというのです。試してみると、父はその着せ方のほうがスムーズに着られます。もともと父は腕から通して着ていたのだと、しばらくしてから気がつきました。ズボンをはかせるときは、介助する私は右利きですからつい父の左足からはかせようとしますが、父は右足からはこうとします。これもきっと身についた習慣が脳の一部に残っているのかもしれません。痴呆の初期から父の習慣を観察しておけばよかつたと悔やまれます。父の習慣を理解したうえで手助けすると、とても介護しやすくなります。

 

 

今だからそんなことがいえますが、介護のし始めのころはとてもそんな余裕はなかったでしよう。こうした経験を社会的財産として、将来、妻がボランティアなどで生かしてくれればと願っています。

 

 

父には精神的ケアが不可欠です。父の介護には、状態を把握している人が穏やかに、落ち着いて、ゆっくり、気長に、接するのが望ましいのです。急なヘルパーさんの交代は父の安定した生活を脅かします。しかも事前の連絡もなく、アフ日は私が代わります」などと訪ねられても、私たちが望んでいるようなケアは期待できないからです。交代のときは定期のヘルパーさんと密度の高い引き継ぎをとお願いしています。次に困るのが、時間にルーズなかたです。わが家では複数人が交代で支援に入るので、引き継ぎに支障を来たします。家族の申し送り、メモの確認を怠るヘルパーさん、こちらの支援してほしい内容を受け入れてくれないヘルパーさんは交代してもらいます。

 

 

「当直の先生にも応援していただいて、やっとベッドに連れ戻したのですよ。そして睡眠剤をもう一本打たせていただきました」と看護婦さんが昨夜の顛末を聞かせてくれました。「なぜ家族を呼ばないの!」と私は叫びたくなりました。昨日、しばらく入院せよとすすめてくれた医師は、「聞きしに勝るたいへんさに驚きました。痴呆症の親を家ではどうやって介護しているのですか」と私に尋ねます。もちろん、その後の父のADLが大きく下がってしまったことはいうまでもありません。その事件後、夫は「オヤジも専門医に診せたほうがいいかなあ」とぽつりとつぶやきます。すっかり医療不信に陥っていた私は「行政支援を受けるわけではないのだから、わざわざ専門医にかからなくたつていいんじゃないの」と夫に答えました。

 

 

主治医には、専門医あるいは精神科の医師にオヤジを診せなくてもよいか、もし必要があれば紹介してもらえないかと手紙を出しましたが、返事はもらえませんでした。両親には主治医からいろいろ話があったようですが、特に具体的には指示がなく、うやむやになってしまいました。医者の選び方、かかり方はつくづくむずかしいと思い知らされます。


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